自転車に思うこと…。

自転車が好きである。いや、本当に好きで好きで、もう病気なくらいだ。
通勤途中、路傍に打ち捨てられた自転車を見るとかわいそうになる。そっと近寄って、持ち主の手がかりがないかどうか確認したくなる。盗難車なら一層哀れだ。

盗難というのには2パターンある。ひとつは、とりあえず、足がないから乗って行きたいだけで盗む物。もうひとつは、最初から狙いを定め、盗むというものだ。

私らのような高級自転車乗りにとっては、後者の方がやっかいである。どんなに施錠しても盗まれる可能性が高いからだ。

最近、自転車というのには、工業製品という側面よりも工芸品的な芸術性があるのだ、ということに気づいた。もう、私の青春時代は、とっくに過ぎ去り、今や人生の佳境に入ってきている年齢である。その昔は、自転車業界も血気盛んで、いろいろな車種や部品で溢れかえっていた。町工場クラスのメーカーからもいろいろ部品が出ていて、少年だった私は、毎日熱病に憑かれたようにそれらのカタログを眺めてはため息をついていたものだ。

今、こうしてある程度のお金が自由に使える身になると、最新のパーツで固められた自転車より、どうしてもノスタルジックな自転車製作に目が向くのである。こうしたバックボーンがあるので、どうしても往年のパーツに目がいってしまう。

私は、自転車は、道具なので、とにかく使わないと可哀想という立場である。なので、部屋に飾ってある自転車も、どの自転車も乗って楽しもうと思っている。

あなたは、自転車が恋人なんですね、と言われれば、そうだ、としか言えないだろう。

英国の画家フランク・パターソンのスケッチ集を見ていると、当時の自転車乗りの環境がわかって非常に面白い。この画集を見るたびに自転車を取り巻く、環境、ファッション…、あらゆることに目覚めるのである。

あの画集に出てくるような出で立ちでいつか、どっかの辺境をさまよっている夢を最近、よく見る。どうやらストレスも限界点にきているようだw…。

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