愛猫と毎日暮らしている。今朝も4時にきっかり起こしに来た。(´Д`)
春になってくると眠くてなかなか布団を抜け出せないのであるが、愛猫は軽く、前足でポンと顔を叩いてくる。早く起きろ、という合図。
それで二階の階段から抱っこして、下まで毎朝降りるのである。これが日課だ。愛猫はそうされるのが楽しみで仕方ない、という感じである。
うちの愛猫は丸々と太っているため、持ち上げると腰にくる。(´Д`)
しかし、抱っこされている間は、とろけるような眼差しで見つめている。
さて、愛猫との生活が後何年続くのだろうか?と最近、気がかりである。というのも我が母も御年89歳になり、もうそれほど先が長くないと思われる。すると、愛猫の世話はすべて私になる。
可愛いので癒やされているし、十分に可愛がっているが、猫は意外と長生きなのである。噂によると20年以上生きた例もあるという。(・・;)
もし、20年なら、まだ後10年は生きるだろうか。私は70歳を越えている。
年齢的にもう自転車旅行は無理だろうな、と思うのである。
それにどこか基礎疾患が出てきて、病院通いかもしれない。いつまでも健康であるという保証はない。
愛猫と生活をともにする間の楽しみは読書と旅の妄想だ。特に私は鉄道の時刻表が好きで、今は乗換案内とかのサイトで楽しんでいる。山陰地方へ行くにはどういうルートが楽しいのだろうか?とか妄想する。昔、学生時代は寝台列車があって、大阪駅からそれに乗り、旧福知山線を通って、朝方米子に着いた。
途中通過する伯耆大山駅とかからの眺めが良かった。
今は寝台列車もなくなり、味気ない。のぞみが常時運行するので、時間が短縮され、新幹線の車内販売も消えた。食堂車ももちろんない。(´Д`)
それで、各駅停車などを乗り継いでローカル線の旅をするのは非常に楽しいのだ。
昔、堺市に住んでいたときに、反時計回りで紀伊半島を一周したことがあった。阪和線、きのくに線、紀勢本線と乗り継いで松阪駅で近鉄に乗り換え、大阪線で鶴橋まで戻って、堺市まで戻るという遠大なルートである。
途中下車せず、ずっと乗り通しだった。非常に疲れたが、楽しかった。
スマホを片手に乗り換えの段取りとかばかり検索してワクワクしていた。
ああいう旅ならいくつになってもできるな。(*^^*)
自転車を伴う旅はもう年齢がいくと無理だ。
それで、私の引退後の生活だが、早朝起きるのはずっと続くだろう。その後、いつもの紀の川沿いのコースのポタリング2時間である。
そして買い物にでかけて食材を買ってくる。お昼を食べ、午後からは読書。夕食を作り食べる。
暗くなってくると寝る。TVは基本見ない。
今でもほぼこの生活リズムである。愛用のkindleに詰められるだけ、本を詰めて、毎日読書三昧。(*^^*)
アルゼンチンの文豪、ボルヘスが好きだ。幻想的な小説が大好きでよく読むことがある。後はエッセイなどもよく読むし、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズもずっと繰り返し愛読している。
B.Enoのように世界中を転々として暮らしている人も羨ましいと思うが、じっと一箇所で妄想に耽るのも悪くないな、と最近思うようになった。
ノートPCのスクリーンの向こうに世界中の絶景が見える。片手に梅酒などを持ち、ちびちびやりながら楽しんでいる。
極楽である。(*^^*)
(=^・・^=)