脱サラを考えている人。ちょっと待ったw…。

脱サラを考えている人たち。いっぱいいると思う。特にオイラと同じ50歳の節目を迎えた人なら。しかしちょっと待て!といいたい。サイメンの飯倉氏のこの動画おもしろい。
一見の価値あり。↓


来年で50歳である。
良くも悪くも無事に生きてこれたものだ。

年の瀬にオイラが、仕事を辞めるって話を聞きつけてか、あちこちの知人からえ!?また辞めるの?って驚きの声が聴かれるw。

今回は、ちょっと休止期間である。ま、ちょっとの間だけである。

立ち止まると、普段忙しくてあまり考えられなかったことも考えられるようになる。
今、考えているのは、目先の仕事だけでない。とにかく2015-2025という10年間のロードマップを描いてみたいと思っている。ケッコンは?とか、仕事は?とかいろいろ聞かれるが、どれも個人だけでは解決できない問題をはらんでいる。というのも、オイラは長男、次男の二人兄弟であって、今は、実家に三人暮らしである。

両親は80歳前後であり、当然ながら、この先10年後に生きている保障はない。途中、要介護となり、介護生活になる可能性も充分に考慮しておかないといけない。

今ある生活が標準とは決して思わないことだ。ふとしたきっかけで介護生活になって介護離職というのが世間的に社会問題となっている。これは、都心部に勤める長男長女らが、田舎にいる両親が突然要介護状態となったため、止む無く離職して故郷に帰らざるをえない状況である。当然、田舎にはそれまでと同等の仕事などないから、無職となってしまう。生活費は減る一方で、介護負担も重くのしかかる、ということになるのである。

オイラの場合ももうずっとこのままのお気楽生活を謳歌できるわけもない。
親のどちらかというか、そもそももう親も相当な高齢者なのであるから、家事にも必然的に介入していかないといけない。それには、正規労働者だと都合が悪いのである。だいたい、夕方は16時位に終われるのが理想だ。そうすると、帰りに材料を買ってゆっくり調理できる。朝も9時スタートくらいだと余裕があっていい。というのも夜のうちに洗濯を済ませておき、早朝より干すのである。

一番の重労働が布団干しであるが、マットレスとか使えば重たい布団を干す作業がなくならいか、今思案中。

とにかく暮らしの中身をひとつひとつ再検討してみたいと思っている。その中で省力化できるものは省力化し、仕事と両立して、うまく生活をしていけたらと思うのである。自分が生活者の主体に過去なったことが何度かあるが、家計簿をエクセルで付けたり、細かく消費をコントロールできるので、無駄がない。エンゲル係数がもろわかりなので、無駄遣いしないのである。

これからは、妻帯者とか独身者に限らず、生きていくということを主眼に生活スタイルを設計するのがよい、と思う。

就活とかいうと、すぐにどっかエエトコ決まったの?
って聞かれるw。^^;

オイラ的にこの日本人独特の寄らば大樹の陰という幻想がなぜ、2014年も押し迫った世の中に未だに根付いているのか不思議でならないわけである。

中学生くらいのお子さんをお持ちのパートの方ともよくいっしょに仕事したが、皆さん、一応に良い高校に入るため、って言って半狂乱になって稼ぎ、塾に通わせているのであるが、なにかが可笑しいと思う。

子供自身が何になりたいかさえわからない状態で、良い高校へ、ってどういうことか…。
良い大学、良い会社、良い暮らし…。

みんな幻想である。
良い暮らしの基準を考えなおしたら?と言いたくなる。

お金が豊富にあって物質的に豊かであれば幸せか?
絶対にそんなことはない、とつくづく思うわけである。

古座川の相瀬で出会った大阪の男性は半年働いて、夏の半分を民家を刈り上げて釣り三昧の生活を送っておったw。しかし、その笑顔はつくづく俺は幸せだーというのを全開に発していた。

そこそこ食べられて、やりたいことをやる。これでいいのでは?と思う。
自分で計画的に貯蓄して、生計を建てていれば正規、非正規労働、どっちでもいいのではないか…。世の中めまぐるしく変化していて、その都度、会社の経営も変わるし、こうすれば一生安泰ですよ、なんて方法論はもはやない。

いい学校を出ていい会社に入れば一生安泰です、という世の中は終わりました。
(・∀・)
仕事だってしんどくて辛くてたまらないのなら別に辞めてもいいと思う。

笑って過ごしても10年。泣いて過ごしても10年なのである…。
(=^・・^=)

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