本、最近読書してないなぁ…。

世間では夏休みも終盤に入った模様。
子供は夏休みの宿題といって、昔から読書感想文を書かされたりした。私の時代もありました。だいたい、本屋や図書館へ行って課題図書を探すのですが、どれを読んだらいいかさっぱりだったりします。

今だったら、新聞書評とかで面白そうな本を見つけて読むのにな、と思ったりしますが、当時は子供でそのようなこともわからず、手当たりしだいに借りたり、友達に聞いたりして選んでおりました。

さて、大人になって趣味で読書をするようになると、面白い本を嗅ぎつけて図書館で借りる、というのが常套化しました。お金をかけず楽しめるなんて素晴らしい。しばらく通ったりして、おりました。主にノンフィクションが大好きで、冒険や探検記などを貪るように読みふけっておりました。

しかし、自転車に乗る時間が多くなってきて次第に図書館からも離れてしまいました。しかし、金欠になると、また図書館へ足が向くわけです。私の近隣では、大阪の熊取図書館が良かったです。蔵書の数が半端ではないのがすごい。しかし、県外の私は借りることができません。ま、当然といえば当然ですね。しかし、昔は借りられたんですよ。懐かしいな。

探求書の数々が熊取にはあって、暇になると出かけて読んだりしてました。

さて、蒐集の話が続きましたが、私も蒐集は嫌いな方ではありません。しかし、最近、将来を考えてしまうと、すっきりと何も持たないミニマリストに憧れたりもします。どうしても他では見つからないCDや本だけを手元に残し、後はすべて処分というのでもいいかも、と思います。

ひところ、自炊と呼ばれる本の解体処分方が話題になったりしましたね。本を裁断機で切ってしまい、ペラにしてそれをOCRで読み取り、デジタル化する方法。当然、元の本はもう戻りません。しかし、永遠の命を吹きこまれたデジタル書籍となって楽しめるというわけですね。

私は、これでも愛書家なので、とてもそういう残酷なことを本にすることができません。本の各部にはおもしろい名称がつけられているのです。これを見ると、ますます本に愛着が湧いてきます。うちの本は半分は古本で手に入れました。中には某大学図書館や某図書館の印が押されたものもあり、流れてきた歴史を感じさせます。

昔は友人に本を貸してあげたりしておりました。しかし、長らく戻ってこないと不安に駆られたものです。今ではそういう友人もほぼいなくなり、遠い過去を懐かしんでおります。大学が近所に設立された頃は、さぞや古本屋とかができて、私好みの町に変貌するものと期待したものですが、全然そういうふうにはならず、今に至ります。私が、通っていた某大学近隣には、こうした古本屋が乱立し、いかにもという親父さんがいて、帰り道よく寄っておりましたっけ。

夏になって何もすることがなくなると、ぼぉーと遠い過去を回想してしまいます。
(=^・・^=)

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