私の妙な旅行癖。

昨夜も、愛猫が寝床にスコスコと入ってきて涼しい顔。最初は遠慮がちにそろりそろりときて、やがて奴は、どうどうと主のお腹あたりに陣取るわけである。軒を貸して母屋を取られる、とはこのことか。(^^)

寝返りも満足にうてず、悶々と遠慮がちに寝て朝を今日も迎えた。しかし、ときどき、足でそっと寄せてやるとゴロゴロと喉を鳴らして喜んでいる。奴も寒くなってきたためか、人肌が恋しいらしい。

さて、私の旅行癖であるが、昔はずいぶんと色々行ったなーと回想している。今は、仕事が忙しく、暇がない。金は稼げるが、暇がないので、部品ばかり買ったりしてごまかしているが、なにせ根っからの旅行好きのため、しばらく旅行に行っていないと行きたくてしょうがないという気分になる。

私の旅行プランはだいたい無計画である。おおまかにあそこらへんに行くか、と決めると出発する。まず、出発するタイミングであるが、これが面白いことにだいたい大きな転職する時期に集中しているのである。

一区切り会社を退職して時間ができると、あてもなく、リセットする目的でもあるかのようにいそいそと荷物をまとめ、出かける。愛車は最近整備不良の目立ってきた往年のランドナー。自宅からそぼ降る雨の中を東へと向かった。厳寒の2月であった。

吉野あたりから本格的に登り始め、気がつけば、大台ケ原の直下を越えることになっていた。当たり一面真っ白け。黄色タイヤが滑るのを必至にこらえながらの峠越えであった。

この日の宿はコテージで、下北山村という土地である。なんとも池原ダムの直下という非常事態になったら即アウトという絶体絶命の地での宿泊だった。しかし、一人貸し切りのコテージは季節外れもあり、泊り客は私独り。たっぷり温泉も堪能し、早朝出発。

しかし、意外とアップダウンありでバテバテ。熊野市についたら、鬼ヶ城あたりをぶらぶら。奇岩の写真なぞ撮り、熊野市のスーパーでこの日のお昼弁当を買う。さて、この先、行くも千里戻るも千里の難所である。坂道はできるだけ避けたいという軟弱者ゆえ、素直にここは輪行で行くことにした。熊野市駅前でランドナーの解体ショーをやる。タクシー運転手が物珍しげに見ていた。二両編成のキハに乗り込み、久しぶりにディーゼルの気動車のエンジン音を聴きながら居眠り。気づくと、尾鷲あたりの絶景の連続。トンネルを抜けるたびに波しぶきが舞い、絶景が続く。しかし、トンネルが長い。

尾鷲を過ぎるとだんだん山部深くなり、紀伊長島あたりからは山中をゆく。難所、荷坂峠である。エンジン音の喘ぎを聞きながらやがてキハは松阪に到着した。

さて、今夜はどうするか、もう日暮れてきていて、心細い。寒風が身にしみる。しかし、仕事がない、というのは自由でいい。明日からの予定を何も考えなくていいというのは、真の漂泊の生活だな、と思い。これくらいの贅沢はあるまい、と思った。

結局、この日はネットカフェの店長に泣きついて、カップルシートを提供してもらい、愛車もろとも世話になる。ありがたいことにスマホも充電でき、案外、手足を伸ばして寝ることができた。深夜、何度もドリンクをおかわりに行く。明日の天気予報などをネットで見てから寝た。

次の日は結局、伊勢志摩方面へ南下を目論見、夫婦岩など一通り定番という観光地に行ってみた。中国人の団体が来ていて、写真を撮りまくっていたな。

夫婦岩の波しぶきがすごかった。やがて、朝焼けの中を鳥羽に向けて快走。ここからパールロードの激坂にヘロヘロになりながら、よたよたと展望台に到着し、ご当地バーガーのトバーガーなるものを食す。大ぶりのエビが入っていて、うまかった。

このパールロードを行ったのは失敗で、アップダウンがとにかくキツイ。自転車向きじゃない。下道を行くべきだった。

伊勢志摩の街並みをフラフラしながら、今宵の宿の予約。今宵は伊勢志摩YHに決定。到着時間が早すぎてしまい、まだチェックインできない。仕方ないので、周辺を調査。磯部大王自転車道なる自転車コースを発見。ちょっと走ってみると、これがイイ! 明日は、これを南下してみよう、と思った。夜はもう一組、京都からの中年ご夫婦が来ていて、ご挨拶。夕食をともにする。

で、結局、翌日は、伊勢志摩の南端まで走りきり、漁村の町中に迷い込んだりしながら、ぐるっと一周してきて、鵜方駅に着いた頃、家人より電話あり。もうそろそろ帰って来いよ、との命令。それで、鵜方から輪行で帰宅することにした。

と長文になったが、だいたいこんな塩梅で退職すると、私の場合、いつもふらふらとどこかへ旅行に行くという、遠い昔の話である。
(=^・・^=)

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