年の瀬にこの世に想うこと。

今日は休み。すっかり年の瀬である。慌ただしく過ぎた一年だったな。コロナに始まり、コロナに終わる。(・∀・)

今年は、宇宙元年になるのかな、という思いがある。前澤さんが、有人宇宙飛行に行った。民間人でも宇宙旅行に行ける時代の幕開けである。

昔、立花隆著、宇宙からの帰還、を熟読していた。あの頃は宇宙に行くという体験が人間の内面変化にどういう影響を及ぼすのか、ということに異常に興味があった。

今年は、同僚が暮れに亡くなり、激動の年であったわけであるが、世界情勢を見ると、なんともきな臭い。ロシアがウクライナに侵攻するのではないか?とか、ウクライナがNATOに加盟するのか?とか、中国が台湾に侵攻するのではないか?とか。

あー、やれやれである。

一方で宇宙から地球を見る機会を得る人がいるというのに、まだ、地上でせせこましい国境線争いに明け暮れ、機会あれば戦争をしかけようとする愚かさよ。

NASAのfor all mankindシリーズの動画を以前ご紹介したが、今でもyoutubeで検索すれば出てくるので、興味ある方は見て欲しい。この動画は、アメリカのアポロ計画の全容を知るいい動画である。BGMは私の大好きなブライアン・イーノの音楽である。

月面から登る地球の眺めというのがあるのであるが、非常に感動的である。というか、なんともいえない郷愁に襲われる。この真っ暗な宇宙空間にポッカリと浮かんだ地球。その他には生命の気配すらなく、唯一無比である。

異星人がいるのか、いないのかというのが激論になっているが、私はいる、と思っている。現に我々地球人類がある程度知性というものを持ち、文明を起こしているからである。

地球環境を考えると、この宇宙で地球と同じような気候を実現するのが奇跡的であるという。ほんの僅かでも太陽との距離が離れていたり、近すぎても生命は発生しなかっただろう、と言われている。

それなのに、人間同士がいつまで経っても殺し合いを止めないというのは、愚かというほかない。

人間というのも今ではだいたい、東アフリカから出発して、全大陸に行き渡り、それぞれの土地で独自の進化を遂げた結果、黒人、白人、アジア人、と枝分かれしたという。

ヨーロッパ言語の起源をたどると古代ローマのラテン語に行き着くらしいが、日本語の起源は謎である。一応、文字としての漢字は中国から輸入してそのまま使われている。中国人が日本に旅行に来ても、看板の文字を見れば、だいたい意味がわかる。日本人も同じく、中国に行くと、看板の文字でだいたい意味がわかる。

カムカムエブリバディの朝ドラで英語学習が見直されているが、日本人にとって英語の習得は難しい。発音がまったく異なる言語なので、まず、一番やっかいなのが、ヒアリングだ。読み書きは丹念な学習でなんとかなるが、しゃべるのと聴くのが非常に難しく感じられる。

今は、日本のアニメが全世界で放映されているようで、私が子供の頃見た懐かしいアニメも海外で流行っているようだ。北斗の拳などの海外吹き替え版を時々、youtubeで見かけるが、劇中で流れる日本語を海外の人はどう感じているのかな、と興味ある。

趣味の自転車の方は近所のポタリングに終始するというありさま。でも、頭を空っぽにしたいときなどに、ふらふらと自転車のペダルを漕ぐのが非常に私にとっては効果的なのである。リフレッシュ効果は計り知れない。そうした人知れず埋もれている田舎道のポタリングコースの写真をこれからも、紹介できたらと思う。
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