ヒトが亡くなるということ。

 昨日のことである。仕事もそろそろ後30分ほどで終了か、というときに訃報が届いた。サ高住の利用者の方が先程亡くなられたとのこと。すぐ行ってみると、静かにベッドに横たわっていた。

まるで寝ているかのような穏やかなお顔である。享年89歳。約6年間ほども過ごされた住宅での生活では想い出写真がいっぱいであった。

いつも思うが、人は誰でも死ぬときは独りである。家族が居ても必ず死に目に会えるというわけではない。

しかし、孤独死でなく、住宅での最後というのも悪くないな、とこの時思ったのである。

我が家も高齢者がいる。もうそろそろお迎えが来てもおかしくない。住宅での看取りでは、常に主治医と連絡がつくし、後からでも死亡診断書を書いてもらえるので、問題ないが、自宅での最後となると死亡診断書を書く人を探さないといけない。案外知られていないが、救急車を呼んでしまうとやっかいなことになる場合もある。

病院到着後になくなれば、病院の医師が死亡診断を書くことになるだろうが、これが、自宅で救急隊が到着後に亡くなっていた場合、警察にすぐ連絡されてしまう。すると、警察がやってきて、事件性がないかどうかしつこく家族が問われることになる。

これがやっかいだ。なので、看取りで在宅死を選んだなら、死亡しても慌てず冷静に対応しないといけない。

お風呂場などでの溺死の場合はもっともやっかいである。まず、事件性を疑われるため、家族への警察からのしつこい問い合わせが続くことになる。

昔は大家族で看取られて亡くなるという人が多かったようだが、今は各家族であり、孤独死する人も多いと聞く。

実家を離れて新宅を建てるより、できるだけ今の家を修繕しながら大事に住む方がいいのではないのか、と最近は思う。

子供が大都市圏などに集中していくと、地方に取り残された両親を誰が世話するのか、という問題がまず発生する。我が職場でもそれが一番の問題で、キーパーソンが遠方だと、介護相談をする際にかなり大変なことになる。

往復通う交通費も馬鹿にならない。かといって息子や娘の住んでいる都会の高齢者施設は相場が高い。

最近は、子供の居ない私も含めて、後30年後くらいの未来を予想しているのであるが、主の居なくなった家屋の処分やら、財産の処分も含めて、相談できるような機関ができたらいいのにな、と思っている。

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