回想の80年代…。

 毎朝、朝ドラのカムカムエブリバディを見るのが日課になっている私。(^^)

しかし、たまに早出であったりとか、今日のように父の通院だったりとかで見逃すことがままある。残念。(T_T)

80年代というと、私が高校から大学に行くくらいの年である。青春真っ盛りで、非常に郷愁に浸る日々なのである。

80年頃というと、もう今の若い人はまったく知らないと思うが、あの隣国の中国が日中国交回復とかで一気にその距離が縮まった年だった。

ちょうどその頃、NHKでは、大型のドキュメンタリー番組でシルクロードというのが毎月、一度放映されていたのである。私は、これを初めて見たときに衝撃を受けた!

何が、というと、まず、その番組に使われているサウンドトラックである。喜多郎とかいう謎の日本人のシンセサイザー奏者が居て、その人が全編、このシルクロードシリーズのサウンドトラックを作っているのだとか…。

なんでも当時、彼は長野県の辺鄙な村に自給自足で暮らしていて、そこでシンセサイザーによる演奏を多重録音して、サウンドトラックをこしらえていたのだとか。

当時は、シンセサイザーという目新しい楽器がやたら注目された年で、専門の雑誌も刊行されていたくらいだから、一層、興味が湧いた。

比較すると、一世風靡したYMOとは全く違うナチュラルなサウンドで、そのノスタルジックなメロディに殺られた。

西域と呼ばれていた中国の西の果てのタクラマカン砂漠の情景にそのサウンドがぴったりとはまり込み、毎月、夢遊病者のように見入っていたわけである。

今、思うと、この頃の中国には希望があったような気がしている。今はウイグル族の迫害とかで世界的に問題視されているが、あのホータンの川で崑崙の玉を拾っていた親子は今頃どうなっているのやら…。(T_T)

崑崙の玉、というと私が今最も欲しい逸品である。井上靖の小説は随分と読んだ。彼の小説の舞台はいつも西域である。

ロプノール湖の湖畔には今から2000年ほど前に楼蘭という伝説の都市国家が栄えていたという。ローマと漢という二大大国のシルクロード貿易の中継地点として大層栄えたという。

この頃の放映映像は、どこかで見ることができると思うので興味ある方は思い出して見てくださいな。

桜蘭人というのは、鼻が高く、西洋的な顔立ちだったとか。砂漠の遺跡でミイラが発掘されたけど、大層な美人だったのかな?と評判でしたね。

で、高校の頃、漢詩の時間にこのシルクロード地方の詩が出てくるのであるが、辺境の警備を任せられた一兵士が、崑崙の玉になみなみと、これまたこのホータン地方特産であると思われるブドウ酒を注ぎ、月夜の夜に砂漠にて飲み、やがて酔って、砂上に伏す、という下りが出てくるのであるが、この情景を思い浮かべ、私はボォーと想像しているわけである。

そのせいか、この頃より、崑崙の玉の杯が欲しくて堪らない。

アマゾンで探すが当然、見つからない。

というわけで、今宵も玉門関より、西の西域を想い、酒を飲んでいるわけである。

(=^・・^=)

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