熱病にかかってたあの頃。
今から40年ほども前、ニューサイクリング誌などをむさぼり読み、誌上に登場する様々なツーリング自転車に魅了されていた。あの頃は部品も多彩で、いろんなメーカーが競って発売しており、組み付ける楽しみがあった。
あれから40年。部品業界もほぼ、シマノの一強体制になり、面白くなくなった。それでもしばらくは、オークションなどで往年の部品を探しては集めたりして、熱病は続いていた。しかし、最近になって、なかなかおもしろい部品も出なくなってきて、面白みが薄れてきたように思う。
寄せ集めて作ったポンコツクロスバイクは、見た目こそへんてこりんであるが、乗ってみると味わいがあり、実に楽しい自転車である。旧車に凝る人は、車の旧車と同じで、果てどなく時代考証にこだわり、無理なレストアを続ける強迫観念から逃れられない。もうとっくに生産の終了している部品ばかりを相手にしているので、埒が明かない。
ニュース記事で書いていたが、車の旧車はいよいよレストアができない時代になってきつつあるとか。理由は80年代以降に流行ってきた電子部品のせいだという。コンピューターが埋め込まれてきたエンジン周りは一度不具合が起こると代替部品が手に入らず、諦めるしかない、という。
メーカーもそうそう生産がとっくに終わった車の部品をいつまでも儲からないのに供給するわけもなく、買い替えとなるようだ。それに加えて、板金加工など職人技を必要とする重要工程を支える人材がいない、という。
翻って自転車業界を見てみると、やはり、クロモリに代表される鉄のフレーム職人は激減しており、人気もないので、フレーム周辺のラグなどの小物を供給してくれていた町工場も閉鎖となっていくようだ。この先、実にお寂しい状況なわけである。
鉄のオーダーフレームを作ってくれる工房がいつまで持ちこたえられるだろう?と将来を思うと、暗くなる。
ヨーロッパなどでは、おじいさんの代から大事に乗り継いでいるような時代物のの旧車が結構な数乗られているという。それに古物を大事にする風潮もあり、エロイカに代表されるように部品供給もあるようだ。日本は使い捨て文化に染まってしまい、古くなるともうお手上げである。
我が家も私の代一代限りで終了となる予定。あと40年ほどしたら、この物件もどうなるのだろう?と思うと複雑である。
我が家の廻りでも家督を継げない家というのが結構あるようで、少子高齢化はすごい勢いで進んでいくことだろう。100年後の日本の都市景観は今とはまったく違うものになっているだろうな、と思う。三大都市圏に住む人だけが文化的生活が送れるような状況になっているのではないかな。田舎はとっくに消滅し、なくなっているのだろうな。
おっと、話が暗くなってしまいましたね。しかし、考えると、人口が減るってことはインフラが老朽化して大変になるけど、自立して生活できる工夫をすれば、今より住みやすくなるのではないかな。ま、健康ならば、の話ですがね。
あー、今日ももうすぐ出勤です。明日は休み。
(=^・・^=)
コメント
補修部品の無い旧車を誰が高値で買うのか?という疑問もありますけど、
古い日本車が登場するゲーム、漫画、映画の影響で、
どうやら米国に日本車のブームが巻き起こっているようです。
米国には「部品がなければ作ってしまう」という文化があるのか、
米国で人気のある旧車は、補修部品に困らないという格言があります。
コッター式のクランクも、米国でブームが巻き起これば
部品を復刻する動きが起きるかも知れません。(^^)
米国では鉄フレームの自作が流行っているようですので、
もしかすると、米国で探せば、ラグも見つかる可能性はあります。
今は、インターネットがありますので、米国の情報をチェックする事も
可能になりました。
日本は30年以上、衰退し続けてますけど(失われた30年)
日本人は受け身というか、酷い目に遭わされても、自分で考えることはせず、
お上に従う人が多いように感じます。
日清日露戦争の頃、陸軍で脚気の死者が出て、白米が原因ということが
明らかだったにも関わらず、それを認めようともせず、
むしろ白米説を否定し、さらなる犠牲者を出しました。
科学を無視する政策は、明治の頃より脈々と受け継がれてます。
ウイルス対応も、失われた30年も、人災ではないかと考えております。
こん@4040club
日本の精神論というのは、昔からありますね。根性第一。何事も根性で乗り切れと。
とっくにそんな時代は終わっていると思うのですが、未だにそんな風潮を感じます。だから、ITでもアメリカに負けてしまったんでしょうね。