あの頃の自転車作りは楽しかったな…。
私が高校生の頃、お手本はもっぱらニューサイクリング誌(NC誌)であった。先輩たちの見事な自転車の部品アッセンブルを見様見真似でやろうと必死だった。(゚∀゚)
ようやくコッタレスクランクが王道になり、コッタードはたまに見かけるくらいだった。フランス部品のエレガントなデザインに魅了され、欲しくてたまらなかった。バイトのお小遣いを奮発して、ユーレーのジュビリー前後セットを買った。それは今も大切に保管され、手元にある。一度だけ取り付けたことがあった。
非常に華奢ですぐ壊れそうで愛おしく、すぐ取り外して今は、酒の肴となっている。(゚∀゚)
昔は憧れのフレンチコレクションでガチガチに組んだランドナーを乗っていた。分不相応の極みである。その自転車は今はもうない。いっとき、自転車熱が冷め、車に移行してから処分されてしまった。非常にもったいないことをした、と今も後悔している。
あの当時買った部品は相当残っている。杉野のフロンティアエースのチェンホィール。3アームという今ではレアな仕様だ。Wのセットである。コッタードゆえ、取り付けられるシャフトを探すのに一苦労だ。たまにオークションで見かけたら、即買いである。
昔はピン打ちと言われ、コッタードはその当時でももうすでに時代遅れの仕様となっていたが、私はあえて喜んでブリジストンのユーラシアに付けて悦に入っていた。
このユーラシアは高校の頃、通学によく活躍した。塗装もきれいで今でも惜しまれる名車であった。
ただ、サイズが合わず店頭にあったものを衝動買いしてもらったので、私には大きな550mmだった。でも、乗れないことはなく、快適によく走ったものだ。
かなりこの自転車でもあちこち走ったな。
懐かしい思い出。
昔は輪行なんてやらなくて、とにかく自走で家から行けるところまで行って帰るというようなサイクリングの基本みたいなことをやって喜んでいた。しかし、そのうち、未走行区間がなくなってきて、輪行をやるようになった。
車載で走りに行くようになったのはだいぶ後になってからである。
ブランクの期間に自転車界は、アルミ、カーボンと素材の革命が起こり、私の愛した時代の部品たちもなくなってしまった。今はシマノを中心とするロードコンポばかりで味気ない。規格も各メーカー独自のものが多くなり、使用する工具も多数必要となった。何より、ディスクブレーキの登場により、劇的にメンテナンスがやりにくくなったように思う。
出先でエイヤッ!っと気合でブレーキアーチを引っ張ってクリアランスを調整する、なんて野蛮なことはもうできない。
たまに走っている自転車でディスク車を見かけることが多くなったが、よくシャリシャリとローターを擦っている音がしている自転車を見かける。
ディスク車、いいのか悪いのか、わからない。私はリムブレーキが好きだ。安いし、簡単に調整できるから。
今、一番心配しているのはスポークのバラ売りである。これがなくなると、もうアウトだ。手組のホィールが組めなくなるから。(;_;)
私のようなイタリアンで手組という趣旨の人は、大変に困ることになる。
どうか、スポークメーカーさんも頑張ってほしいし、バラ売りがなくならないことを祈っている。
(=^・・^=)
コメント