利用者の死去、入院とバタバタである。
職場の施設の動きが激しい。
死去に伴うバタバタ。それと同時に転倒による怪我で救急搬送。などなど。昨日、バタバタだったらしい。私の休みの日の出来事である。
少ないスタッフ人数のときに限ってそういう状態になることが多々ある。('A`)
ま、迅速に動いて、事なきを得た模様。
今日は出勤してその事後処理である。各方面に電話し、調整を図る。
うまくいったみたい。それと空き部屋の後の新規獲得も一応成功だ。やれやれ。
稼働率が下がるととたんに売上が下がる。ということはスタッフへの人件費の分配にも影響してくる。これが長期化すると、倒産していく事業所も出てくるようだ。他人事ではない。
いかに早く空き部屋を埋めるか。それと長期入院を避けること。
無駄に治療の進展がないのに引っ張られ、レセプトの上限いっぱいまで入院させる病院がある。いかに早く、手を打つか…。
できるだけ、ADLが下がりきらない段階で退院させるべきだ。そうでないと根本治療がうまく行ったとしても、おむつ着用や寝たきりの状態で退院させられたのでは本末転倒である。
本人にとっても家族にとっても喜べるものではない。
日本という国は死去に際してもどこまでの治療を望むのか、というのがあいまいだ。最近は施設で最後までというのを望む家族が増えたが、いざ、終末期となるといろいろブレが出てくる家族も多い。
延命という言葉をよく聞くようになったが、医療が発達した今では延命に一応の線引きをしておかないと、いつまでもベッド上で生かされることになる。
点滴一つとっても重要になってきて、終末期のいつまで続けるのがいいかとか、いろいろ話し合わないといけない。
ここ数年で随分と終末期に関して考えるようになった次第である。今まで見送った人も多く居る。
だいたい、終末期かどうかを見極めるのに食べない、ということが一つのヒントになるように思う。
だいたい、食べなくなる。そうするとみるみる衰弱してきて、やがて終末期となる。人間の最後を数々見てきたが、だいたいそうだ。
経口摂取ができるかどうか…。一つの分かれ道である。
この仕事に就いていろいろ人の死に立ち会ってきたが、死というものに恐怖感がなくなってきた。自分もいずれはこうなる、と思う。
だから、元気なうちからの終活は重要だ。無駄に物を溜め込まないこと。一定の年齢になったら断捨離して、残された人に迷惑のかからないシンプルな生活を目指したい。
自転車もいずれは断捨離して、人に譲るつもりだ。
部品も工具も…。
まだまだ先だが、いずれはそうなると思う。
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