今年もあと残りわずか。

朝からubuntu linuxにインストールされているpythonというプログラミング言語でちょっと遊んでいた。まったく初めてであるが、対話型で試せるので楽しい。簡単な計算などすぐできた。世間では、このpythonは今やAIとのからみで話題の言語だとか。

こんな感じで昔、マッキントッシュにバンドルされてたハイパーカードも習得し、自由にスクリプトを書いて楽しい日々だったと思い出した。最近は人の作ったものばかり使うだけであの頃の楽しさがない。ちょっと物足りない感じである。

さて、2019年は私にとって驚くほど走らない年となった。記憶しているだけでも東吉野や、田辺方面くらいか。後はほとんど紀の川周辺をちょっと走っただけである。これほどサイクリングしなかった年も珍しい。
(・∀・)

なんせ根っからのヘタレであるから、ちょっと寒い、暑いとなると引きこもる。その代わり、旅行記は読んだな。綿貫益弘氏の著作をネットで見つけて速攻ゲット。貪るように読み耽っている。ああいう野性味のある旅をしたいとずっと思っているが、仕事を辞めないと多分無理かな、と思う。

来年は自分にとって節目の年となる。残り人生を考えて計画しているところ。趣味の自転車はずっと続ける予定だが、今までのように散財はもうできない。その代わり自由時間が増える予感はする。

老親の世話とか、いろいろあるのであるが、通院が大変である。耳の聴こえが悪くなっている父と通院するが、この病院が混んでいる。2時間待ちは当たり前のようだ。気が萎える。

冷静に周りを見渡すと、随分と自分も両親も年取ったと感じる。大病を患っていないのが幸いであるが、そろそろ免許返納もほのめかされている矢先、今後の買い物、通院手段は全部、私になる。まだ、近所にスーパーがあるだけましであるが、私の地域ではちょっと山奥へ入ると限界集落状態である。たぶん、あと20年もすると誰も住まなくなるのではないか、と予想する。

紀の川市は平野部は割と栄えているのであるが、山奥は家もまばら、過疎化が進み、高齢化も凄まじい。農作業のアルバイトがかなりある。(^^)

有田の方では泊まり込みで繁忙期に人を雇ってしのいでいるらしい。一年で考えると、春と秋とかに集中して働いて貯蓄し、猛暑と厳寒の時期にのんびり過ごすというのが理想かな。そうしますと長期の旅行も可能だし、人生楽しいだろうな、と考えますがいかがだろうか?

最近、西海の方、五島列島の福江島などに行ってみたいなと旅行記を読んでいて思った次第。九州には凄まじい弾圧をつけたキリスト教徒の受難の地であり、そうした隠れキリシタンの歴史に興味がある。いつか行ってみたいと思う。

いつかいつかといいつつ、もう歳も50を越えてしまった。残り人生が少なくなる一方で焦りを感じている。好きな読書もほとんどできず、このまま終わってしまうのだろうか。
(=^・・^=)

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