ちょっと読書してから、風呂入って寝るか…。

今日は、仕事は定時に終わった。
その後は、病院での好例勉強会カンファレンスに参加していた。
帰宅は20時w。^^;

このカンファレンスは面白い。私など、医療人ではないので、もっと医学的知識を吸収したいという知的欲求から、このカンファレンスに参加している。

知的好奇心が昔から旺盛であった。昔から、人体という神秘に魅せられている。まず、なぜ、歳を取るのか? これは今最もエキサイティングな研究領域でエージングの研究はかなり進展を見せている。

カンファレンスは、まず、依存症という問題もよく出る。なぜ、人間はいけないとわかっていて、求めてしまうのか? 不思議と言えば不思議である。

もっと不思議なのは、怪我をしても次第に治癒して治ってしまう。
難しい言葉でいうと自己組織化という概念になるが、これも不思議だ。ロボットではこうはいかない。しかし、人間は軽微な損傷なら、自己組織化でその部分を修復してしまう。怪我をしてもやがてかさぶたができて、傷が治ってしまうのがその例だ。

中枢神経の障害であっても、脳の可塑性などと呼ばれる機能補完によって、代替機能が備わり、手足に麻痺が残っても若干動くようになる例がある。

今後は、ips細胞の培養で全能性の細胞ができてきて、お望みの臓器に進化するということが可能になるかもしれない。永久歯が抜けて諦める必要もないし、脊髄損傷で手足が動かない、と一生車椅子ということもなくなるかもしれないのである。エポックメイキングなことが起こりつつあるのである。

なので、ことさらこのへんの再生医療に関する文献には目を通すようにはしている。

こういう現場からの貴重な医療情報が医師や看護師から直接聴ける。なんという幸せか。

俯瞰してみると、人間というやつは不思議な生き物だと思う。アレほど、死ぬのを怖がっていたかと思うと、家に帰ると自暴自棄にふるまい、自ら寿命を縮めたり…。

私がいつも自分に振り返って教本のように念じているのは、時間という概念だ。
人間は、普通に目の前の時間しか感覚できないようにできている。過去、仙人とか呼ばれる人たちは、こうした時間概念を超越し、自分の一生のライフスケールをいち早く達観していて、その中で今はどう生きたらいいかを自覚していたのだろう、と思う。

御嶽山が噴火した、とか…。東日本大震災で大津波がやってきた、とか…。
こうした自然現象は1000年単位の事象で人間の時間スケールとかけ離れている。しかし、こうした時間スケールも自分の人生時間と相対して考えられるようになれば、人は解脱したと解釈できるのかもしれない、と最近思っている。

だから、オイラが解脱した、というわけでは決してないw。
が、少なくとも自分のスケールをいつも紙に描いて、残り何年くらいかなぁーと考える習慣は身についた。

だから、あまりくよくよせず、欲張らず、楽しく生きればいいのだ。と…。
このようにして、自分の残り時間をスケールできるようになると、周りから嫌味をされただの、怒られただの、瑣末なことに思える。人の生はほんとうに一瞬なのである。

ソクラテスが言っていた。良く生きること、と…。
((≡゚♀゚≡)

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