今日は昭和の日だそうな。懐かしい自転車の思い出話。
昭和という時代がはるか昔のように感じられる今日この頃。もちろん、私も昭和生まれで今ではもうすっかり55歳のおじさんとなってしまった。(・∀・)
昭和という時代を振り返るといろいろあったな、と懐かしい思い出がいっぱいある。自転車でいうと、デコチャリというのが流行り、派手なフラッシャーなどの方向指示器が付いた通学用自転車が各社から発売されていた。私も少年の頃は夢中になり、そういう自転車が憧れだった。
で、その頃同時に漫画雑誌の裏表紙などにブリジストンのロードマンの広告が頻回に載るようになった。ロードマンという車種は、コンポーネント化されていて、様々なオプションパーツを付けることにより、多様な用途に使える車種だった。その頃はなんでもドロップハンドルが憧れで、友達が入学祝いにロードマンを買ってもらったと聞くと馳せ参じ、隅から隅まで舐め回すように見て触った。当時はタイヤサイズが大きく、27インチとかだったような記憶がある。違うかな?
アメクロのタイヤも素晴らしく、欲しくてたまらなかったが、叶わなかった。
その後、高校入学時にはとうとう親にせがんでせがんで、やっと念願のスポーツ自転車を買ってもらったな。BSのユーラシアという車種。ランドナーである。
今でも惜しいと思うのだが、あの車種を置いておけばお宝だったなのにな、と後悔しきりである。フレームサイズなど何も考えず、背の低いくせに背伸びして、550mmのシートサイズを買ったものだから、必然的に大きかったな。しかし、よく走った。毎日、通学に活躍した。
前後変速機は今はなき、サンツアーの製品がついていた。当時、うれしくてたまらなかったのが、カンチブレーキである。これは高級品の証ともいうべきステータスで、当時は鉄のサイドプルなんかが大勢であった。
そして、いよいよ高校の頃、毎日、スーパーでアルバイトして、必死に貯めたお金で念願のセミオーダー車を手に入れる。パイプもこだわり、ニューサイ誌の影響からか、軽量化に異常にハマってしまい、石渡017という薄いパイプで組んでもらった。これにTAやら、プロダイ、ユーレーなどのあこがれパーツを散りばめて完成させた。重量は確か9キロほどだったと思う。
このときの教訓からか、その後は軽量化にはそれほど興味がなくなった。というのは、よくしなり、ちょっとしたダートなどでもヒヤヒヤするような自転車だったのである。もともと、軽量パイプは競技の世界で争うレーサーのためのもの。それをツーリングに使うのはちょっと冒険だったようだ。
それ以来、なにより、頑強、壊れにくいというのが鉄則だと思い、今に至る。その頃から東叡社は憧れのフレームビルダーだった。まさか、十数年後に愛車になるとは思いも寄らなかった。息の長いフレーム製作所である。
こうして思い出してみると、昭和の頃の自転車事情が一番良かったな、と思う。今は、なんだかパーツメーカーも皆同じような感じで、面白くない。それとコンポ化されているので、混成での組み上げができないのも寂しいな。
後悔といえば、もっと若い時に全国あちこち走っておくべきだったなということかな。
ま、これからまだ健康なら走れるので、残り人生を楽しみに生きよう!
(=^・・^=)
昭和という時代を振り返るといろいろあったな、と懐かしい思い出がいっぱいある。自転車でいうと、デコチャリというのが流行り、派手なフラッシャーなどの方向指示器が付いた通学用自転車が各社から発売されていた。私も少年の頃は夢中になり、そういう自転車が憧れだった。
で、その頃同時に漫画雑誌の裏表紙などにブリジストンのロードマンの広告が頻回に載るようになった。ロードマンという車種は、コンポーネント化されていて、様々なオプションパーツを付けることにより、多様な用途に使える車種だった。その頃はなんでもドロップハンドルが憧れで、友達が入学祝いにロードマンを買ってもらったと聞くと馳せ参じ、隅から隅まで舐め回すように見て触った。当時はタイヤサイズが大きく、27インチとかだったような記憶がある。違うかな?
アメクロのタイヤも素晴らしく、欲しくてたまらなかったが、叶わなかった。
その後、高校入学時にはとうとう親にせがんでせがんで、やっと念願のスポーツ自転車を買ってもらったな。BSのユーラシアという車種。ランドナーである。
今でも惜しいと思うのだが、あの車種を置いておけばお宝だったなのにな、と後悔しきりである。フレームサイズなど何も考えず、背の低いくせに背伸びして、550mmのシートサイズを買ったものだから、必然的に大きかったな。しかし、よく走った。毎日、通学に活躍した。
前後変速機は今はなき、サンツアーの製品がついていた。当時、うれしくてたまらなかったのが、カンチブレーキである。これは高級品の証ともいうべきステータスで、当時は鉄のサイドプルなんかが大勢であった。
そして、いよいよ高校の頃、毎日、スーパーでアルバイトして、必死に貯めたお金で念願のセミオーダー車を手に入れる。パイプもこだわり、ニューサイ誌の影響からか、軽量化に異常にハマってしまい、石渡017という薄いパイプで組んでもらった。これにTAやら、プロダイ、ユーレーなどのあこがれパーツを散りばめて完成させた。重量は確か9キロほどだったと思う。
このときの教訓からか、その後は軽量化にはそれほど興味がなくなった。というのは、よくしなり、ちょっとしたダートなどでもヒヤヒヤするような自転車だったのである。もともと、軽量パイプは競技の世界で争うレーサーのためのもの。それをツーリングに使うのはちょっと冒険だったようだ。
それ以来、なにより、頑強、壊れにくいというのが鉄則だと思い、今に至る。その頃から東叡社は憧れのフレームビルダーだった。まさか、十数年後に愛車になるとは思いも寄らなかった。息の長いフレーム製作所である。
こうして思い出してみると、昭和の頃の自転車事情が一番良かったな、と思う。今は、なんだかパーツメーカーも皆同じような感じで、面白くない。それとコンポ化されているので、混成での組み上げができないのも寂しいな。
後悔といえば、もっと若い時に全国あちこち走っておくべきだったなということかな。
ま、これからまだ健康なら走れるので、残り人生を楽しみに生きよう!
(=^・・^=)
コメント
リトラクタブルのライトが流行っていたと思います。
マニュアルミッションのようなHパターンのシフトもありましたが、
私のは、ATのようなレバーがトップチューブに付いてました。
お気に入りは、何と言っても油圧式ディスクブレーキです。
テールスライドが出来るくらい強力でした。
多分、この画像が私の自転車に近いと思います。
http://cskurakawa.blog89.fc2.com/blog-entry-1485.html
確かに、「Oil Disc」 と書いてありました。
ただし時代はロードマンに移行しつつあったと思います。
周りの友人がデコチャリに乗っていた頃は、私だけ幼児用の自転車(20インチ)に乗ってましたから
みんなよりも流行が1テンポずつ遅れてました。
それでも、20インチの自転車で、デコチャリと競争しましたけど、
車体が軽かったので、下り、カーブ、悪路は、いい勝負だった記憶があります。
(今から思うと、かなり危険なことをしてました)
折角買ったデコチャリも、結局は子供用サイズでしたので、
高校生くらいになると、シートポストを上限にしても、サイズ的に厳しかった記憶があります。
次に買ったのは、ドロップハンドルではなくて、MTBでした。
既にクルマにも乗ってましたが、運動不足を痛感して、
なるべくMTBに乗るようにしていたと思います。
その時のMTBが、現在の通勤車になってます。
左右のシフトレバーが時間差で折れたり(右が先に折れました)
ゴツいスタンドのバネが切れたりもしましたが
鉄フレームなので、本体は壊れる気配すらありません。
(何度も転んでますけど)
ちなみに、あの時のデコチャリが残っていたら、
骨董的価値がありそうな気もしますが、
残念ながら、弟が通学中に事故を起こして廃車になりました。
最初に乗っていた幼児用自転車も、弟が車とぶつかって廃車になりました。
そろそろ定年も見えて来ましたので、もう無茶な事はせずに、
のんびりと自転車を楽しみたいと思います。
また、MTBに乗っているのに、アスファルトの上しか走っていないので
里山をMTBで散歩したら楽しいかな?と思ったりします。
https://blog.nagano-ken.jp/people2014/people07/128.html
こん@4040club
オイルディスクって言ってたんですね。今のディスクブレーキの先駆け? (^^)
私も油圧式のブレーキが欲しくてたまらなかったのですが、自転車屋の親父いわく、オイル漏れが多く、修理によく来るとかいう一言でボツとなりました。
しかし、そのうち、サイクリングの世界に目覚めてしまい、サイクルスポーツ誌を手に取ったのもこの頃です。
MTBはいいですね。でも、なぜか、日本では規制がきつくて走れるところが少ないのが残念です。和歌山でもいいコースはあるようなのですが、公然の秘密となっているようで、裾のは広がりませんね。
私は、オフロードも興味津々なのですが、MTBよりはクロカン車が欲しい気がします。ゴツいブロックパターンのチューブラーでダートを走ってみたいです。
(=^・・^=)