サイクリングの本音に思うこと
どこかで、サイクリングしたあとの気持ちを書かれている記事に遭遇した。
その方はとっても素直に書かれていた。内容は、実際、一人で走っていると、相当距離を走ったあとになぜ、こんなにしんどい思いをしてまで走っているのか、とか、普通だったら今頃は家族とかとドライブに行って美味しいものを食べたりしているのに、なぜ、自分だけがストイックにこんなしんどいことをやっているのか、という気持ちが拭いきれない、と書かれていた。
私はというと、こんな気持ちになったのは、サイクリングを始めた若い頃のときだけである。あとは、自然そのものを心底楽しんでいる。なので自分の走力をデータ化するような機材は一切つけないし、つける気もない。
最新の電動メカなどもとんと興味ない。STIなどの確実にシフトが決まる変速メカも嫌いだ。
タイムがどうのとか、ケイデンスがどうこうとか、一向に関心がない。
それで、ローディの人とは比較的距離があるかな、といつも思っている。自分がしたいのは、サイクリングで自然を楽しむことだけである。なので派生してキャンプだとか、そういうたぐいのものは大いに賛成である。
基本、自転車で走るというのは、旅しているという人とトレーニングのように走っているという人とで大きく違うものだな、と最近思うわけである。
自分は旅行の方である。旅行の手段として自転車を選んでいる。
ひどい激坂になるといつも自転車を降りて黙々と押して歩く。周囲の冷えた空気感がいい。小鳥の声が聞こえる。小川のせせらぎの音が聞こえる。自然の中に来たな、と思う瞬間である。
こうした環境そのものを楽しめるようになったら本物だと私は思っている。なので、喧騒のある都会は嫌いで、滅多なこと行かない。
いつも辺鄙な際どいコースばかりを周囲に押し付けるので、変人かと思われているかもしれない。(゚∀゚)
しかし、グーグルマップを見ていて滅多に人の行かないような地域を調査するのが日課である。
こうした私の心境と近い趣味にカヌーがある。カヌーも最近はあまり行けていないが、私はいつも古座川へレンタルカヌーを申し込んで行っていた。水面上から眺める流域の風景はそれは素晴らしく、川風が心地よかった。釣り人との思わぬ出会いや会話、流れに任せてただ下るだけ。しかし、これが滅法気持ちよくて病みつきになるのである。
サイクリングもどんなにしんどくても私は心の中で笑っている。気持ちいいなぁー、最高だなぁーと。
先日の奥高野行きも実は楽しかったのである。危うく遭難か、と思われるくらい厳しい状況だったが、相棒には悪いが、途方に暮れて歩くのもまた楽しからずやだったのである。
また、人知れず枯れ葉の舞い散る小道を探して、自転車に乗っていこうと思う。
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