2000年頃まで私は盛んに図書館へ通ったりしていた。割と本を読む読書人だったと思う。でも、転職、残業、疲労と日々困憊していく中で徐々に足が遠のいて行った。
中でも本屋は、本当に行かなくなった。というより、そもそも今は町中に本屋を見かけなくなった。以前あった本屋はビデオのレンタル専門ショップに成り下がり、本を置いていない。
中古本のブックオフに行っても学術書や専門書のたぐいはまずない。あるのは、タレント本や読む価値に値しないようなくだらない本ばかりである。
本屋をはしごしようとすると関西では大阪梅田付近まで出ないといけない。とても時間がかかる。それと本というものは、物理的に重いので、移動に苦労するのである。
以前は予算数万円を持っていき、リュックを背負って、勢いで欲しい本を漁り、買ってリュックに詰めて電車で帰ってきたりしていた。
今は、その当時の本も読了すれば、場所を取るのですべて売り払った。今手元に残っているのはわずかに小さな文庫や新書の類だけである。
でも、血気盛んな若い時に読んだ本の記憶というのは不思議と色褪せないのである。自分の成長に著しく影響を与えていると思う。
いっときは、神秘主義にハマり、そうした類の本をよく読んでいた。今でもRobert Frippは大好きだ。(*^^*)
えーと、最近はそんなこんなで、図書館、書店とかにはとんと行っていない。インターネットの時代になって、一気に何でも検索して、手元で読むようになった。
新聞各紙の書評欄を隅々まで読み、それで一応満足である。中でも琴線に触れたものは購入するようにした。
今は世界情勢が不安定なので、そうしたイランとか、イスラエルとかの地政学的な本を探して読みたいと思っている。
結局、やっぱり巡り巡ってノンフィクションが面白いのだ。各個人が経験したおもしろエピソードなどを読んでいると知的に興奮する。私はどうしてもフィクションを読むと、ふーんとか思うのだが、後でノンフィクションを読むと、現実の面白さに圧倒され、フィクションがぼやけて見えるのである。
だから、小説はあまり好きじゃない。この歳になるとよく読むのはユーモアのあるエッセイとかかな。
しかし、小説でも文豪と言われる人の文体には惹かれるものがある。古典的だが、志賀直哉とかの文体はすごいな、といつも思う。
紀行も好きで、司馬遼太郎氏の「街道をゆく」シリーズは読破したいと思っている。
お硬い本ばかり読んでいても頭もカチカチになってしまうので、適度に硬軟取り混ぜて読むようにしている。図鑑などもいい。
電子本はまだまだこれからだと思う。願わくば、過去の著作も電子本で復刻してくれたらな、と思う。
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