旅の記録のこと。

カメラは便利だ。大発明品だと思う。昔、私が小学生の頃などは、まだカメラが高価な趣味品で一家に一台とはいかなかったと思う。近所の趣味でカメラをもっている人などに時々映してもらったりした写真が数枚手元にあるだけで、私の子供時代の写真は驚くほど少ない。だから、非常に価値があるように思える。

今の時代は、携帯電話にカメラが搭載され、私もご多分にもれず、その機能を使いこなしている。昔はインスタントのフィルムカメラを持ち歩いていて、それをカシャッと撮り、撮り切ったら終わりである。後でカメラ屋に現像に持っていって仕上がりを待つのが楽しみだった。

そんな牧歌的な時代は終わり、今は撮った瞬間にその場で画像を確認できる。失敗を気にせず、連写で何枚も撮れる。

だいたい、一回の旅行で数百枚くらいの写真になるかと思う。それらを削除せず、丸ごとオンラインのストレージに放り込んでいる。私はグーグルのストレージを買っているので、かなり容量に余裕がある。まだ使い切れていない。

当時の写真を眺めていると次々と旅の記憶が蘇り、すぐにでも記事を書けそうな感じがする。残りは地図への書き込みやら、買ったレシートなどなどで、旅の断片が揃うことになる。

写真の記録は鮮明である。写真を見ると、その時、なぜ、それを撮ったのか、どんな気持ちだったのかが自分なりにわかる。私の場合は、旅行後すぐには記事を書かない。すぐ書く場合もあるが、横着なので、だいたい、数日経ってから写真やらの記録を引っ張り出して、眺めながら、回想を辿っていくという塩梅だ。

このポタログにも過去たくさんのツーリングの思い出を綴ってきたが、たいてい写真を付けているので、ブログは本当に便利な道具である。

無くなってしまったルートラボの代替をなんとかしないとな、といつも思うのである。自分だけなら紙の地図一枚でなんとかなるが、公開するとなるとルートがややこしい。私は、いつも行く先の20万分の1地勢図というのを買い、それに赤ペンなどでルートを書き込む、ということをやっている。それをフロントバッグに挟み込んで走る。日本の場合、道路標識がたいていあるので、現場に行って確認すれば間違うことはない。

こうした書き込みも鮮烈な記録となって、喘いで登った峠などの記憶を呼び覚ます。

ちょっと時間のある時に写真倉庫の過去の写真を懐かしく見ている。旅の記憶が蘇り、ああ、あのときはこんな道路を相棒と走っていたな、と思い出す。また、行こうと決心する。そして、二度目の再訪となる。

臆病なので、飛行機は使わないが、今時は新幹線やらクロネコやらが全国に展開するようになったので、便利だ。遠隔地へ行くことも厭わない。

自由の身になったら、気になっているあちこちへ行きたいな、と思う。
(=^・・^=)

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