春眠暁を覚えずというが…。

 春先になると誰しも眠たくなるものだそうで、昔から、春眠暁を覚えず、ということわざがあるが、私の場合、寝入りが非常に眠たくて風呂の中で危うく寝落ちしそうになる。(゚∀゚)

それで昨夜も慌てて風呂に入って寝た。そのまま気づくと朝の3時であった。そして、そのくらいの時間になるともう目が冴えて仕方ない。

それで今日も起きた。まだ、新聞も来ていない。

愛猫もやがて起きてきて、キャットフードをひとつかみやった。

最近、愛猫は老猫のせいか、背中の毛が剥げてきていてみていて痛々しい。前に飼っていた猫も晩年、このような状態になったな。

さて、早朝より読書である。そして、今日は待望の給料日!

欲しい買い物をできる日だ。古書を何冊かと電子本も何冊か。予算はまあ5,6000円くらいか。残りは自転車の部品でリムを買う予定。

弁当を作るようになって、お小遣いがかなり残るようになり、予算に余裕ができた。私はいつも給与の10分の一くらいしか、使わないことを徹底している。ローンももちろん組まない。キャッシングなんてしたこともない。

ロングテールで貯蓄あるのみ。老後のことが心配だ。もうこの歳になると将来受け取れる年金額というのが判明している。私は少ない年金だが、70歳くらいまでも働くつもりはない。せいぜい、65,6歳くらいで引退したいと思っている。

あと数年だ。それで、今のようにのんびりと読書とポタリングを続けていきたいと思っている。残りの人生でどれだけ読んだり、走ったりできるかわからないが、とにかくいけるところまでいきたい。

一般に古典という分野があるが、立花隆氏が言うには古典というのは500年以上のスパンでふるいにかけられた本だという。そう考えると、ようやく、マルコポーロの東方見聞録とか、イブン・バトゥータの三大陸周遊記くらいが古典である。それより新しいものは古典とは呼べない、ということになる。

ふーん、なるほどなぁ〜。これらの本も欲しい本である。

大航海時代と呼ばれる時代くらいまでが古典といえるのであると思う。

C.クックの太平洋航海記、C.ダーウィンのビーグル号航海記などもぜひ読みたい。

もう探検とか紀行とかいうところになると、いても立ってもいられない。(゚∀゚)

もちろん、自転車野郎の旅日誌も欠かせない。先日読んだ、中西氏の放浪哲学も良かった。

こうした手に汗握るというノンフィクションの表現に比べると、小説はやはり弱いと思う。私は、小説も好きだが、特定の作家だけで他の人のも読み漁るということはない。想像の産物なので、どうも真剣にのめり込めない。それで、ついノンフィクションの本を手にとってしまう。

小説から離れるきっかけになった決定的事件はあのオウム真理教の一連の事件である。事実は小説より奇なり。誠にあの事件は小説を凌駕していた。

大文学と言われるロシア文学の大家なども読んでいない。もう時代も100年以上前になるので、読んでも感情移入が難しい。それに堅い表現もあり、なじめない。これ、正直な気持ち。チェーホフなどは面白かったので読み切った。少年時代の思い出。今、文学書が売れないという根本原因かな、と思う。

私は、コミックもあまり読まない。昔は読んだのであるが、最近は時間が惜しいと思う感情が先立って、つい紀行などの本ばかり読む。サイエンスものもたまに読む。

立花隆の宇宙からの帰還はすごい本だったな。宇宙飛行士の宇宙体験を通しての内面の変化がつぶさに語られていて、宇宙体験というのが一種の神秘体験のように思われ、私など、絶対に経験できない神秘の世界に魅了されたものである。

と長々書いたけど、そろそろ今朝も夢の国に旅立つ時間である。

(=^・・^=)

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