ゴミ屋敷問題…。

昨日、事例の発表会に参加してきた。こういう仕事をしていると、多くの困難事例といわれる事例を知ることになる。

ゴミ屋敷問題とは、簡単に説明すると、個人が屋敷の内外にゴミを収集した結果、異臭を放って近所迷惑になったり、発火などの危険性があったりなど、周辺住民からの苦情があって、地域の民生委員などが、動いて本人と接触し、なんとかゴミを片付けてもらえないか?とか、ゴミを集めてこないようにしてくれないか、とか。個人の問題を飛び越えて、周辺地域の問題となっている例が多いようだ。

今回、聞いたのも、それらとよく似た事例だった。
私が、まず、興味をもったのは、ゴミ、という名称。その人にとって、それは本当にゴミなの?と疑問を感じた。実は、私の部屋もお世辞にもきれいとは言えない状態であるからだw。部屋の中には、主に自転車関連の書籍やら、部品やらが長年の収集した結果大量に保存されている。これは、私自身にとってはかけがえのない宝物である。しかし、家人にはそうは映らないらしいw。(・∀・)
第三者から見れば、意味のないゴミとなるわけだ。

なので、今回の事例でもまず、長年にわたって、収集してきたそのゴミの種類と中身を調べる必要性が高いように思う。部屋の中にあるゴミと外に置いているゴミにプライオリティーはないのか?とか、ゴミ同士でなにか関連性はないのか?とか…。調査が必要だ。

次にこの人の生活歴に着目したい。幼少の頃はこうした収集癖があったのかどうだか?集めだしたのはいつ頃からなのか?実は、一番肝心なポイントがこのいったいいつから集めだしたのか?というポイントだと思う。というのは、集めだしたという行為に背後関係を感じるからだ。なぜ、集めているのか?それも自分を覆い隠すくらいに大量のものを…。

一種の防衛機制の可能性もあるだろう。ようするに心理的になにか、他者から嫌なことを言われたりされたりした結果、自分自身をゴミで覆い隠すことによってやすらぎ感を得ているのではないか?とか。もし、そうであるのなら、その集めだした頃に周囲に居た人に聞き取りをしたり、その人がその当時属していた集団にアプローチしてみる必要もあるだだう。

最後に当事者の精神鑑定である。精神疾患にかかっている可能性も否定できない。
精神疾患といっても様々なものもある。統合失調症、非定型精神病、境界型人格障害、躁うつ病…、など。もし、そうであるなら、専門医の受診をしてみる必要もある。ま、本人の受診への同意を得るのが容易ではないだろうが…。

対人援助の仕事をしていると、常に非審判的態度を心がけている必要がある、と言われる。しかし、人間というものは、常に自分が所属している組織の状態像を標準である、と思いがちだ。こうした悲劇は昔から繰り返されてきた。民族紛争、中世の魔女狩り、異教徒の迫害、などなど。

自分たちの価値観にそぐわないと、すぐ異端者と決め付け、排除にかかる。テレビなどの大規模の放映装置ができたおかげで、余計にステレオタイプが広がり、そこから外れると虐めを受けたり、仲間はずれとなる。

何が正常で何が異常かは容易に決められることではない。公共の福祉に反していれば、なんとかしないと…、と言われるが、この公共の福祉の概念も曖昧である。児童ポルノの問題で今、もめているが、コミックの内容描写でどの程度までならポルノであるのかないのか? いったい誰が何を基準に決めるのか? 性風俗は時代とともに変化が激しく、SMなど、昔は禁忌とされていた行為も今は市民権を得ていて、愛好者のクラブもある。

その人がその状況に至った経緯への考察が常に大事である。現場を見て、すぐ、どうしたらいいかではなく、なぜ、ここに至るまでその人は追い詰められたのか? 逃げることができなかったのか?を考えたい。

答えはすぐに出る問題ではないが、徐々に改善できる方向に向かっていければいいと思う。もちろん、虐待事例など、命の存続に関わる問題は緊急に介入して保護などをしないといけないのは言うまでもない。命の保護というものが、絶対的に最優先課題であるからだ。

しかし、未だ、人権が確立していない国があるようだが、この先、また悲劇が繰り返されそうで憂鬱である。
(´・ω・`)

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