今、司馬遼太郎の街道をゆくの十津川街道を読んでいる。

 長らく、十津川村という土地に興味を持っていた。知識もなく、何度か車で通過し、そのうち、どうしても通してサイクリングしたくなり、新宮市まで自宅から走るという暴挙に出た。

若かった。日帰り弾丸ツアーで完走した。ヘトヘトだった。途中、足湯があったり、野猿があったり、いろいろ見どころもいっぱいである。

いつか、ここを宿泊でのんびりと走りたいな、とその時思った。

それから月日が流れ、もう10年ほど経つ。

十津川街道について、今、kindleで読書中である。天誅組のゆかりの地である。幕末史とかに興味があったので、一気に読み進んでいるところである。

紀の川沿いには五條市の他、橋本市もあるが、両方ともよく似た作りの街なのに、どこか違う。私は、最近は、もっぱら五條市がお気に入りで、そちらの方ばかり向かうことになる。

家から約片道40キロほどである。驚いたことに輪行で行くとえらい時間がかかる土地である。自走で走っても列車とそれほど時間に差がないのがびっくりだ。

途中停車駅は数しれず。ここを輪行で行くとかなりの長丁場となる。奈良まで行ったこともあったが、2時間近くの長時間乗車となる。

途中停車駅が多すぎて覚えきれないほどだ。

十津川は独特の風土である。十津川郷士は、天誅組の際にも駆り出され、活躍したという。

以前は天誅組ゆかりの地で鳩の首峠というのを越えたことがあった。東吉野方面にも天誅組の史跡はある。今度訪ねてみたい。

司馬遼太郎氏であるが、高校生の頃、粉河方面へ通学に淡路街道というのを自宅から自転車で通っていた。片道8キロである。松尾池というのが北勢田の方にあった、その付近に差し掛かった頃、一人の白髪の老人(見た目が白髪なのでそう見えたのかもしれない。)にこの淡路街道についていろいろ質問されたことがあった。

どうしてもよく思い出せないのであるが、丁寧な言葉遣いにこの辺の人ではないな、と一瞬で思った。オーラというか、文士のような風貌だったのを覚えている。あの人はひょっとして司馬遼太郎氏ではなかったか?と今になって思うのである。当時は街道をゆくのシリーズの執筆中であって、全国を街道歩きされていたのではないか、と思ったりする。

挨拶して、二言三言話して別れたので、それ以上はわからないが、今になって思い出すと、気になって仕方ない。

紀州のお殿様が龍神温泉に通った道に龍神街道なる名前が付いている。今でもあちこちに当時を忍ばせる風景が残っていて、今は平成の龍神街道という名になっているという。

もう令和なので、平成の…、というのがちょっと古く感じるが、ここをいつか、自転車で走りたいとルートを作った。

自走でとなると、途中泊が必須である。日帰り弾丸ツアーなど、もう年齢的に無茶はしたくない。ゆっくり走ってお風呂に入って美味しい料理を食べて、翌日また走りたい。

最近は、サイクリングロードよりも昔の街道を走ることを特に好むようになり、地図で昔の街道を発掘しては調査するというのをやっている。

そのバイブルとなるのが、司馬氏の街道をゆくなのである。遠い将来、リタイアしたら、自転車あるいは列車で街道めぐりというのを全国やってみたいな、と考えたりする。

ささやかな楽しみである。バイパスよりも旧道である。だいたいバイパスの付近を昔の街道は通っていることが多い。ところどころ、バイパスに寸断されたりしているが、だいたい、郵便局の位置や神社仏閣などの位置でそれとわかる。

慣れてくれば、地図を見ただけで街道を当てられるようになる。

そのいい例が大和街道である。ここは街道初心者向けだ。(^^)

石柱の歴史街道案内が丁寧でわかりやすいし、歩くのも楽しい。自治体でマップも発行しているみたいだから、興味のある人は歩いたり、ポタリングしたりしてみてほしい。

街道をゆくシリーズは大著の本であり、全巻読み切るのに相当な時間がかかるが、暇人の楽しみとして、日々少しずつ読書している次第である。

次は古座街道かな。

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